障害者雇用の短時間勤務に変えたら遠距離介護が始まった私の体験談【体験談⑥】

車内の疲れ果てた女性 障害者雇用・働き方の体験談

今回の内容は、特例子会社に入社したものの、さまざまな要因から体調を崩し、短時間勤務に切り変えざるを得なくなった時のことを描いています。

当時の私は、片道1時間40分の通勤による負荷と、先輩の緊急入院による業務の負荷というダブルパンチにより、心身ともに疲れ切っていました。

入社から10ヶ月経過した頃にとうとう耐えられなくなり、私は心療内科の主治医に相談し、診断書を書いて貰いました。そして、会社に勤務時間を短縮してもらうよう願い出て、無事に受理される事となりました。


私が精神障害を発症するまでの経緯や、現在の働き方に至るまでについては、時系列の記事で記しています。

私の仕事と転職体験談
精神障害3級の私の仕事や転職の体験談を時系列で記しています。精神障害発症の背景から、障害者雇用での転職・退職、そして現在の在宅ワークに至るまで、働き方の体験談をまとめています。

私の仕事と転職体験談


短時間勤務に切り替えようやく生活が回り始めた

目覚まし時計とカレンダー

当時の私は、1日の勤務時間を8時間から6時間に短縮したことで、体調面・精神面ともにようやく、少し余裕が出てきたような感覚がありました。

朝の出社時間は変えず、毎日15時半に仕事を終えて帰宅できるようになったので、終業後にかなりゆっくりできる生活が始まりました。

ただし、当時の会社では、1日8時間勤務が基本と定められていました。体調不良による短時間勤務を求める場合は、医師の診断書を定期的に提出することが求められました。

一度の申請でこの先ずっと短時間勤務が認められるわけではなかったため、当時の私は、この先の働き方についてどうしたら良いのか、かなり悩んでいました。

そして数カ月が経ち、短時間勤務での働き方にもすっかり慣れた頃のことです。

今度は通勤による負荷を減らすため、私は会社の近くへ引越す決意をしました。もちろん、引越費用はすべて自腹でした。

まゆみ
まゆみ

この時点では、会社の近くに住んで通勤の負荷さえ抑えれば、なんとか今の会社で続けていけるはず……そう思っていました。

少なくともこの時はまだ、「辞めよう」とは考えていませんでした。


突然、遠方に住む両親が倒れて入院することに

病室のベッドが並んでいる様子

無事に会社の近くへの引越も終わり、新しいアパートでの生活に慣れた頃のことです。予想もしていなかった出来事が私を襲ったのです。

離れて暮らしていた両親に相次いで病気が見つかり、別々の病院に搬送・入院することになったのです。

引越を終えて一息つき、ようやく安定しはじめていたメンタルは、ここから急激に悪化することとなりました。

明らかに、毎日服薬する薬の量と、パニック発作が起きる頻度が増えていきました。


片道4時間の電車移動が始まった

離れて暮らしていた両親と私は当時3人家族で、他に頼れる親族は一人もいませんでした。

そのため、両親の主治医から呼び出しがあるたび、私が現地に向かうしかない状況でした。

当時の移動距離は、電車で片道およそ4時間。短時間勤務を続けながら、有給休暇を使っては遠距離を往復する日々が始まりました。

「大変だった」というより、そうする以外の選択肢がない、という感覚のほうが近かったと思います。


父の他界、母の介護休業が現実になった

車内の疲れ果てた女性

この生活が続く中で約1年後、治療の甲斐なく父は亡くなりました。その後、別の病気で闘病していた母の容態も、回復することはありませんでした。

母は、積極的治療が終了となり、緩和ケアに移行することになりました。同じ頃、私は母の主治医からいわゆる「余命宣告」も受けました。

また、ちょうど母の積極的治療が終わる段階で要介護認定が降り、会社の制度上は「介護休業」が取れる状態になりました。

当時の私は、1年以上にわたる長距離移動で疲れ果てていました。もしも介護休業が取れるのなら、今住んでいるアパートを出て、しばらく実家で暮らすことだってできる。

そうすれば、体力的な負担を減らして、母の側に居ることができる…そう思いました。


介護休業を取るという選択に

地下鉄のイメージ

熟考の末、私は会社に申請し、介護休業を取得することにしました。そして、キャリーケースに身の回りのものを詰め込み、単身で母が暮らしているアパートへ向かうことになりました。

まゆみ
まゆみ

何ヶ月で職場に戻れるのか、そもそも戻れるのかどうかも、この時点ではまったく分かりませんでした…。


このとき初めて「大きい会社でよかった」と思った

正直に言えばこのとき初めて、「会社が大きいから介護休業という選択ができたんだな」そう感じました。介護休業という制度がなかったら、この時点で退職することになっていたかもしれないと思います。

ただし介護休業を取れたからといって、不安がすべてなくなったわけではありません。仕事、生活、この先の将来。すべてが一旦リセットされたような、そんな感覚の中にいました。

このときの私は、すべてが落ち着いたら、帰ってきてから立て直していけばいい、そう考えていました。


母が緩和ケアに移行してから、看取るまで

介護休業が始まってからの私は、身の回りの世話をする介護というよりは、ただ母の傍について、静かに過ぎていく時間を一緒に共有するような日々でした。アパートには、訪問医療の医師や看護師さんが足繁く通ってくださいました。

しばらくは母の容態は安定しており、本当に穏やかな毎日が過ぎていきました。それは、自分が介護休暇でここに来ているということを忘れてしまうほどでした。

しかし、私が介護休業を取得して4ヶ月目に入った頃、母の調子が少しずつ衰えていくようになりました。その辺りからは、ただそばについて見守る時間が増えていきました。


そして、緩和ケアに移行してから約4ヶ月後、母は静かに息を引き取りました。

暗い夜の森のイメージ

葬儀や各種手続き、住まいの整理など、やらなければならないことは山ほどありました。しかし、当時は3人きりの家族で他に頼れる親族もいなかったため、煩雑な手続きのすべては私一人で対応することになりました。

気がつけば、父と母の二人を見送り、実家のアパートも引き払い、介護休業という区切りの時間も終わろうとしていました。

まゆみ
まゆみ

いつかはこんな日が来ることは分かっていましたが、想像よりもだいぶ早く天涯孤独になってしまったな…という感覚でした。


介護休業を終えて復職すると、それまでに溜まっていた疲れと周りの環境の変化により、少しずつ心身の状態が悪化していくことになります。

介護休業から復職したら喪失感と居心地の悪さが待っていた話【体験談⑦】

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