この記事は、勤め先であった家業が倒産後、失業手当がもらえなかったことが原因で、ハローワークを利用せず、たったひとりで転職活動をしてしまった私のその後を描いています。
ここまでの経緯については、以下の記事で体験談を綴っています。
▶ 失業手当がもらえずハローワークに行かないまま転職活動した私の末路
初出社から2週間で夜眠れなくなってしまった

当時の職場は、苦戦続きのなかようやく決まった転職先でした(何十社も応募しました)。そのため、「少し合わないくらいで会社を辞める」という選択肢は、当時の私の中にはありませんでした。
当時の職場環境で一番合わなかったのは、掛かってくる電話の件数が異常に多かったことです。
電話の内容もただの問い合わせではなく、マイナスの感情を抱えたお客さんから、責めるような言葉を浴びせられることもしばしばでした。
そんな環境は私の特性とまったく合わなかったようで、入社から半月ほどで、夜眠れなくなってしまいました。
睡眠導入剤を貰うために初めて心療内科を受診

フルタイムで働いて、ひとり暮らしの生活費をまかないたい。それなのに、夜になるとなかなか寝付けない。
この状況は、当時の私にとって致命的でした。両親も会社の倒産を経験しており、経済的に頼れる人は誰一人いませんでした。
夜眠れない状態が2週間続いたころ、

このままだと、せっかく決まった仕事が続けられない…
生活できなくなるかも…
そう感じた私は、夜眠れるよう薬を出してもらうため、はじめて心療内科を探すことにしました。
補足|心療内科はなかなか初診が取れない

現在も変わっていませんが、当時の心療内科も長期通院が必要な患者さんでいっぱいのところが多かったです。

そのため、すぐには新規患者の受け入れができないクリニックばかりでした。
良さそうだな、と思う病院を選べるような状態ではなかったです。
当時の私も、どこが良いのか分からないまま電話で問い合わせる、予約がいっぱいで他を当たる この繰り返しでした。
ようやく、自宅から電車で15分ほど行った先にあるクリニックの初診を取ることができました。
そこで睡眠薬を処方してもらったのが、心療内科との長いつきあいが始まった瞬間でした。
摂食障害と過呼吸も発症|激ヤセして30kg台に

最初の頃は睡眠障害だけだったのが、仕事が繁忙期に入ると、摂食障害や過呼吸も発症するようになっていきました。いちばん酷かった時期の体重は、30キロ台まで落ちていました。
おかずの匂いを嗅ぐと吐き気を催すようになり、お昼はコンビニで買った菓子パンをかじって乗り切っていました。そんな状態でだましだまし働き続け、快方に向かうことがないまま丸3年が経過しました。
最初の体調悪化から休職まで3年掛かった理由

体調が優れない状態でも私が3年間頑張り続けたのには、大きく分けて2つの理由があります。
このような背景があったことで、「きっと、どこに行っても同じだろうし…。仕事を続けていれば、この環境にも慣れてくるかもしれない…。」そう信じていました。
今思えば明らかに異常な状態でしたが、どんどん体重が落ちても頑張り続けていました。
しかし、入社から3年が経過しても、状況が変わることはありませんでした。
3年間頑張り続けてもなお、状態が変わらないことを理解した私はようやく、
さすがにもう、これ以上は限界かもしれない…
そう自覚しました。
そこで私は初めて、上司に休職を願い出ることになります。
結果的に1年弱の休職期間をもらい、旅行に出るなどの気分転換を行いながら、体調の回復に努めました。
この時点で、退職ではなく休職を選んだのは、共に働く「人」には不満がなかったからです。
とても忙しい職場でしたが、同僚や上司には恵まれていると感じていました。

仕事そのものは過酷でしたが、人には恵まれていたからこそ、あのような極限状態にありながらも、仕事を続けられていたのだと思います…。
復職して分かった「やっぱり無理だった」理由

上司からの配慮を受け、復職後しばらくのあいだは短時間勤務からスタートをしました。
もともと私が担当していた業務に戻してもらう形で、仕事を再開しました。復帰後数カ月が経過する頃には仕事にも慣れ、フルタイム勤務に戻ることもできました。
この調子なら、今度は大丈夫かもしれない…。そう思っていました。
しかしその頃、当時の会社では全社的にジョブローテーション※を導入する流れになったのです。
(※ジョブローテーションとは、社員の能力開発や適性の把握を目的として、計画的に職種を異動させる人事制度のことです。)
それまで私が一人で担当していた経理業務について、別の社員にも覚えてもらう流れになりました。
その代わり、私は以前から強い苦手意識を持っていた、電話での折衝業務を担当することになったのです。

電話業務は、私以外の女性社員全員が行っていたものでした。私は経理で採用されたために、担当したことがなかったのです。
今思えば、このとき「無理です」と言えなかったことが再び体調を悪化させ、会社を退職する道へと繋がってしまったと感じています。
当時の私は、「自分の休職で迷惑を掛けた職場」に、もうわがままは言えないと思っていたのです。
ジョブローテーションを経て、会社は繁忙期に入りました。
すると悪い予想は的中し、私は再び休職前と同じような不調に襲われることになってしまいます。
このとき私は、はっきりと悟ったのです。
私はおそらく───


そう判断した私は、5年間在籍した会社を辞めることを決意したのです。
35歳になっていました。
初めて訪れたハローワークで障害者手帳について知る

2009年当時30歳で会社を退職した私は、失業手当の受給手続きをするため生まれてはじめてハローワークを訪れました。
まず初めに、受付窓口のようなところで前の会社を退職した理由を聞かれました。
私は、その日までにあった経緯をまとめて担当者の方に話をしました。
もちろん、自分の健康状態が退職の理由になったことも。
そうすると私は「専門援助部門」という窓口に繋いでもらうことになります。
※ハローワークの専門援助部門というのは、障害者手帳を持つ人や、精神・発達障害、難病などで長期的な配慮が必要な方の就職を専門にサポートする窓口のことです

そこで私は、当時の自分が障害者手帳を取れる状態にあることを知らされたのです───。
自分ではそこまで深刻だとは思っていなかったんですけどね。
💡振り返りポイント

当時の私の心境を振り返ってみると、こんな状態でした。

これらはすべて、ひとりで考えていたからこその思い込みだったと思います。
今ならもっと早く立ち止まっていたと思います!
はじめて訪れたハローワークで、私はどんな印象を持ったのかについて、次の記事で当時を振り返っています。
▶ 体調悪化で退職後ハローワークに行ったら想像以上に助けられた話
ハローワークで初めて知った「障害者雇用」という働き方について。その後実際に経験した私の考察も含めて記事を書きました。



